8.はじめる

 ハルドメルにとってあまりにも当たり前のことだった。
 話をするのも、手合わせするのも楽しくて。その命が失われかけた時は、この世の終わりかというほど取り乱して。
 友達だから。自分にとって一番の親友だから。
 オルシュファンにとっても――一番ではなかったとしても、親友だと想ってくれていると感じていた。
 本当にただ、それだけだった。それ以上なんて、考えたこともなかった。あの時まで。

―――――

 リンクパールの受信音で、反射的に耳がぱたりと動く。獣化の原因が分かってからは少しだけ落ち着いたが、まだまだ予断を許さない状況のガレマルドで見回りをしていたウ・ザルは、僅かな音の違い――実際はエーテルの揺らぎの違いらしいが――を感じとり、それが暁の血盟からの連絡であると察知してすぐ通信に出る。
「こちらウ――」
『ウ・ザル、ハルがデジョンする場所に心当たりは?』
「えっ、あ……!? ヤ・シュトラさん……!?」
 シャーレアンで建造されていた船に乗り、天の果てへ。眩暈のするような壮大な話を、リンクパールでの通信と、ガレマルドに駐留しているイルサバード派遣団上層部との話し合いで一応は理解していた。その船にハルドメルや暁の賢人たちが乗り込んでいることも。そこにいるはずのヤ・シュトラからの連絡に驚いたが、彼女はいつになく焦った声で捲し立てた。
『答えなさい、石の家じゃないみたいなの。酷い状態なのに、すぐ見つけないと……』
 デジョンーー瀕死の状態でも扱える転移魔法。どこにでも行けるわけではなく、普段から結びつきの強い、『ホーム』とも呼ぶべきエーテライトに飛ぶことができるものだが、石の家があるモードゥナではない。となると。
 ウ・ザルには一つ、心当たりがあった。
「それなら、多分――」

 ――数分前。

「いた、た」
「当たり前よ……なんで歩けるのか不思議なくらいなんだけど?」
 ウリエンジェとサンクレッドの肩を借りながらラグナロクを降りる。怒り五割、心配十割といったところの、目元を赤くしたアリゼーに申し訳なく思いながら、大勢の人の前に立った。英雄の帰還に歓声が上がる。
「帰って、来たって……皆に、ちゃんと……」
 本当に沢山の人の協力で、天の果てまで行ってきた。沢山の想いに押されて、絶望を退けた。だからちゃんと、帰ったことを、無事な姿を見せたかった。

 ――だが、そこまでだった。

「おい!」
 サンクレッドが声を上げるのと、その身体が完全に脱力してくずおれるのは殆ど同時だった。見ていた者たちにもどよめきが広がる。
「横にして、ゆっくりよ」
 ヤ・シュトラの指示で慎重にその身体が横たえられたが、彼女はすぐに異変に気付いた。エーテルの流れが、魔法の発動の動きを見せる。それはすぐに、身体の周りに光となって現れる。
「な、何……?!」
「テレポ……違う、デジョンだわ……! やめなさいハル、そんな身体で!」
 皆の声が遠く感じる。
 帰って来たと、皆に姿を見せて。それで安心したら、ふと気が抜けて、つい思ってしまった。
(――あいたい)
 積もる話も、伝えたいことも、たくさんある。
(――かえりたい)
 彼がくれたあの場所に。

―――――

 疲れている。そういう自覚があった。
 その日は魔物や獣の情報もなく、ここ数日の中では穏やかな午後だった。
 司令官用の机で書類に目を通しながら、オルシュファンはうとうとと微睡む。

『シュファン』
 彼女の優しい声がする。病室のベッドの上で、オルシュファンはぼんやりと天井を見上げている。
『今日はすごく天気がいいよ。ちょっとだけ窓を開けるね』
 少し冷たいが、気持ちのいい風がふわりと頬を撫でていった。
 彼女はベッド脇の椅子に腰かけて、少し寂しそうに微笑んだ。
『……いつ起きるの? 私、また出かけなくちゃいけないよ……』
 オルシュファンは答えない。答えられない。この時の彼は、まだ。
『一番に言いたいことがあるの……話したいことも、沢山ある……ねぇ、だから』

 がたん、という物音で微睡みから引き戻される。近くにいたコランティオとヤエルも驚いた顔をしていた。その音は応接室、雪の家の方から聞こえた。
 外に出ると、見張りをしていた衛兵もまた驚いた様子で雪の家のドアを凝視していた。
「侵入者か?」
「わ、わかりません。ずっとここで警備していたんですがそんな者は……」
「……交代の時に忍び込んだのかもしれん。入るぞ」
 オルシュファンは剣に手をかけ、一息にドアを開ける。
「誰かいるのか!」
 薄暗い室内の奥に視線を走らせるが、動くものの気配は何もない。最初はそう思った。
「……え、あっ!?」
 後ろにいた衛兵が灯りを掲げて声を上げるのと同時にオルシュファンも気付いた。
「……ハ、」
 床に横たわる、ここにいるはずのない人の姿を。
「ハ、ル…………ハル……っ!」
 足がもつれそうになりながら駆け寄る。抱き起こしたかったが、銀の鎧で覆われた身体は一目見ただけで分かるほどに弱り切っていた。下手に動かすわけにはいかないと辛うじて冷静さが勝り、震える手で脈と呼気を確認した。――生きている。
「オルシュファン様! 本国から連絡が……あっ……」
 シャーレアンにいる暁からイシュガルドへ、イシュガルドからキャンプ・ドラゴンヘッドへ連絡が届いたのは、彼女を見つけたタイミングと殆ど同時だった。
「医者を呼んでくれ……担架もだ、早く!」
「は、はい!」
 指示を出しながらも、オルシュファンは震える手でハルドメルの手を握っていた。

―――――

 大勢の命を救ったとしても、星そのものを救ったとしても――その人がいなくなってしまったら、意味がない。かつて己の身を省みず大切な人をかばい生死の淵を彷徨ったオルシュファンは、自分のことを棚上げしていることは理解していても、そう思わずにはいられなかった。
 イシュガルドにある神殿騎士団病院。その一室で、オルシュファンは今日もハルドメルの目覚めを待っている。
 ガレマルドでの支援は続いているし、未だ各地に残っている獣への対応も然りだ。キャンプ・ドラゴンヘッドでの臨時の任を解かれたオルシュファンは、イシュガルド周辺の警備に協力しつつ、時間さえあればこの病室に来ていた。シャーレアンへという話もあったが、また無意識にデジョンなどされては敵わないと却下され、かの地から派遣された治療師がイシュガルドの医師と協力して治療に当たっている。
「……ハル」
 あれから一週間以上経っているが、彼女は一度も目覚めない。身体はゆっくりとではあるが順調に回復しているし、今のところ後遺症の心配もないだろうと予想されている。
「ハル」
 触れる資格があるのかと自問しながら、その手を握る。祈るように目を閉じる。
 声が聞きたい。その瞳で見つめられたい。貴女の、笑顔を見たい。

「……ねぇ若木、いつまでお寝坊さんなのかしら?」
 ベッドの上にあるこんもりとした山に、妖精王は語りかける。布団を被ったそれは、もぞもぞと動いたけれど出てくる気配はない。
 僅かな隙間から、妖精王は小さな身体を滑り込ませた。薄暗い中では、小さな少女がべそべそと泣いていた。
「こわいの……」
「……何が怖いの?」
「おきたら……ぜんぶ、ゆめかもしれないから……」
 あの日、本当は彼は助かっていなくて。
 目が覚めても、そこには誰もいなくて。
 星を救っても、たくさんの賛辞を浴びても、その覆しようのない事実に、いつまでも寂しいまま。
 そんな気がしてこわいのだ、と。
「……大丈夫よ、かわいい若木」
 妖精王はその頬に擦り寄る。いつものようないたずら好きの一面でも、呼ばれないことに拗ねているわけでもない。ただ慈しむ瞳。
「夢じゃない。幻なんかじゃない。妖精の特技ではあるけれど、私は何にもしてないもの。……お話のあらすじは変えられないし、結末だって変わらない……でも幸せの青い鳥も言っていたでしょう? 可能性はいつだって想いを叶えようとしている……だからきっとほんのちょっとだけ、誰かが奇跡を起こしたのだわ」
 濡れた頬にキスをする。三色すみれの汁なんて目じゃないくらい、甘くて苦くてしょっぱい味。
「だから、さあ起きましょう? 私はまだ、あなたのお話の続きを見たいのよ」
 うふふ、と微笑む妖精は、布団の中から出てしまった。少女は濡れた目元を擦りながら外に出る。妖精はもうそこにいなかったけれど、少女は泣き腫らした目で微笑んだ。
「……奇跡をくれて、ありがとう」

ーーーーー

 微かに、指先が動いた気がしてオルシュファンは顔を上げた。
 薄らと開いた目は、まだ夢を見ているかのように彷徨っている。ゆっくりと瞬かせて、オルシュファンを捉えた。
 唇が動く。寝たきりだったせいで声の出し方を忘れたように、それはほとんど吐息になって消えたけれど、確かに呼んだ。オルシュファンの名を。
「ハル……私が、わかるか……?」
 肯定するように、ゆっくりと瞼が閉じ、また開く。言いたいことが沢山あるはずなのに。否、多すぎて、喉に詰まって出てこないのか。
「……先生を、呼んでくる」
 なんとかそれだけ搾り出して立ち上がる。
「……、ぁ……っ」
 ドアを開けようとしたところで鈍い音がして振り返ると、ハルドメルの身体が床に転がり落ちていた。
「ハル!」
 駆け寄って身体を抱き起す。長く動かなかった身体はあの日と比べてあまりにも弱弱しくて、胸が掻き毟られるようだ。
「ハル、駄目だ! まだ動いた、ら……」
 はらはらと落ちる涙。身体が震えて、オルシュファンの服を縋るように握った。
「ハル……ハル……大丈夫か……どこか痛いのか……?」
「…………」
 ゆっくりと、唇が動く。その動きを見つめ、掠れた吐息に耳を澄ませ、オルシュファンはその言葉を受け取る。

 い か ない で

 ――オルシュファンは負担をかけないように、だがしっかりとその身体を抱きしめた。温かな心音を感じて、眼の奥が熱くなる。
 
「……行かない……どこにも行かない……ここにいるぞ、ハル……ハル」

―――――

 あとは回復を待って、リハビリをすれば大丈夫。
 医師と治療師のお墨付きをもらって、関係者は全員胸を撫で下ろしたことだろう。
 暁のメンバーも続々とハルドメルに会いに来る。もちろん目覚めたばかりだからと長居はしないが、皆一様に心配し、安堵し、笑顔を見せて。ハルドメルもまた、弱弱しくともそれに笑顔を返した。
 ――あの日、自分の知らない沢山の人たちに囲まれる彼女を、親しい人に親愛を示す彼女を見て、オルシュファンの意識は変わってしまった。ただの友では駄目だった。彼女にとっての特別な何者かになりたくて、そうして――あんな行動に出てしまった。
 けれど今は。彼女がずっと、オルシュファンを特別に――大切に想ってくれていたことを知ったから。

 人の流れが途切れ、病室にはようやく静寂が訪れた。今日はもう誰も来ない。少し疲れた様子でベッドで横になっているハルドメルの傍の椅子に、オルシュファンは腰かける。
 ゆるゆるとシーツの上を動く手が、オルシュファンの方へ伸ばされる。その手にそっと指を絡めたら、彼女はまた泣きそうに顔を歪めた。――否、泣いているのだ。
「……ごめんね」
 あの後しばらくして、声はすぐ出るようになった。久方ぶりに出す音を、確かめるようにゆっくりと紡いでいく。
「私、あなたに……ひどいこと、した……私がなんにも、わかってなかった……から……」
 重力に従って、溢れる雫がシーツに染みを作っていく。何度も謝るハルドメルの手を強く握って、オルシュファンは首を横に振った。
「違う……謝るのは私のほうなんだ……ハル……勝手に嫉妬して、信じられずに心を試して。勝手にわかったつもりになって、勝手に突き放して……」
 彼女が一番恐れている――失う辛さを与えてしまった。
 友ではない、友だと思わなくていい。そう言った時のハルドメルを思い出して、オルシュファンは心底後悔した。あんな――二度とあんな顔はさせたくない。
「本当に……すまなかった」
 その手を握って、赦しを乞う。
 不意に、彼女が笑った気配がして顔をあげた。涙でくしゃくしゃになった顔で、それでも彼女は微笑んだ。
「……謝って、ばっかりだね、私たち」
 オルシュファンも、つられるように微笑む。その拍子に、堪えていた雫が一粒落ちていった。
「……シュファン」
 握り返す手の力が、微かに強くなる。
「……あの日を、やりなおしてもいい……?」
 今度はちゃんと言えるから。
 そう言ったハルドメルに頷いて、オルシュファンは起きようとする彼女を支えて、上半身をベッドヘッドにもたれさせるように座らせた。
 あの日の出来事も、言ったことも、やったことも、無かったことにはならない。
 けれど、それでもいいなら。二人が同じ方向に進むことを望んだなら。少し不恰好だったとしても、最初の一つから積み直したっていいはずだ。
「お前に、触れてもいいか」
 頷く。
「……口付けを、してもいいか」
 彼女は黒い肌を朱に染めて頷き、ゆっくりと眼を閉じた。
 柔らかな唇を啄むように触れる。穏やかなのに、心臓は早鐘打っている。
 名残惜しそうに、音を立てて離れたら、耳まで赤くして微笑んだ。
「ハルドメル・バルドバルウィン……私は、貴女を愛している」
 考えたこともなかった。自分がそんな対象になることなどないと思っていたあの日。
 その想いを受け止められなかったことを恥じ、後悔して――ハルドメルは深く息を吸って、そしてゆっくりと吐き出した。
「いつも、何度も私を助けてくれる……私の大切で、大好きな人……オルシュファン……どうか」
 どこにも行かない。目の前にいるその人へ、手を伸ばした。
「……私の『一番』に、なってください」

―――――

えぴろーぐ

「ということで、石の家は表向き、新進気鋭の職人タタルの工房になりまっす!」
 暁の血盟の表向きの解散。その最後の挨拶の時間。工房の話は、相変わらずタタルらしい強かさだと皆がそう思っている中で、彼女はさらに続ける。
「でっすが……元暁の血盟の拠点、ということで、変な人が近づかないとも限らないので……しばらくの間、警備の人をお雇いしまっした!」
 タタルの呼び声と共に、その人は石の家へ入って来た。
「タタル嬢の工房警備兼、見習い職人……オルシュファン・グレイストーンだ! よろしく頼む!」

「本当にびっくりしたよ……二人とも黙ってるんだもん」
「フフフ、なかなかイイ挨拶だっただろう?」
 他のメンバーの旅立ちを見送った後、二人はセブンスヘヴンの側のベンチに腰掛けて話していた。
 それぞれが、それぞれの道へ歩き出した。ハルドメルもまた、もう少しイシュガルドに滞在した後、各地の様子を見に旅に出ようと思っている。オルシュファンはそのことを知っていたが、彼自身の方針についてハルドメルは知らされていなかった。
「旅についていきたいのは山々だが……やはりこの傷は少々ハンデになる」
 ハルドメルの旅は危険が伴う事が殆どだ。ただの旅行ならまだしも、魔物との戦闘や、時にはそれ以上の存在との戦いになる可能性もある。足手纏いだけにはなりたくないと、断腸の想いで断念したが――。
「守る方法は何も一つではない……とは、フランセルの言だ。お前は職人としての腕も一流で、そこに追いつくまで時間はかかるかもしれないが……必ずその身を守る最高にイイ装備を作ってみせるぞ。もちろん修理もな!」
「……うん、嬉しい!」
「騎士としての責務も忘れたわけではないぞ? タタル嬢の工房の警備も、この町の守護もしてみせる。そのために、肉体も今まで以上に鍛え、研ぎ澄ませる……! お前が帰ってきた時に手合わせしても、がっかりなどさせないぞっ」
「それも嬉しいけど……無理しちゃだめだよ?」
「大丈夫だ。身体を壊すような……お前を泣かせるようなことはもうしない。……お前も、また瀕死でデジョンしてくるような事にはならないでくれるか?」
「し、しない! がんばる!」
 復興事業に必要な物資の簡単なものから製作してくれれば、オルシュファンの腕もあがり一石二鳥――そんな思惑があったのかどうかはさておき、親友の新たな道に、そして二人が想いを通わせたことにフランセルは大いに喜んだ。
 旅立つ前に、約束通りアップルタルトを持っていこう、オルシュファンと一緒に。そういえば、ヤ・シュトラにも持っていかねばならない。折角だからリセとアリゼーも。そんなことを思いながら、ハルドメルは微笑んだ。
「ここならイシュガルドも近いし、エドモンさんたちも安心だね」
「うむ。お前の情報もすぐに入ってくるしな。住み込みで働けるようにタタル嬢が個室も用意してくれた。いつでも帰ってくるとイイ。温かい床を用意して待っているぞ!」
「…………」
「……ハル、何を想像した?」
「し、してない」
「フフフ……」
「……シュファンやらしい」
「何!?」
「……」
「……」
 二人同時に笑う。その上空を、青い空より尚蒼い鳥が、祝福するように羽ばたいていった。

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