「おおおお! ここが東方の地クガネ! なんとも異国情緒溢れる場所ではないかっ!」
「あはは、楽しそうでなにより!」
オルシュファンは船からクガネの姿が見えていた時から興奮していたが、その地に降り立ち、見慣れぬ装束を着た人々やその営みを目にすることで、ますます昂っているようだ。長くイシュガルド、そしてクルザスの地で生きてきた彼にとっては、見るもの全てが新鮮だろう。
「むっ、あの家具は知っているぞ。ロウェナ女史の店で取り扱っていたな!」
放っておけばどこへでも飛んでいきそうな親友ーー兼、恋人の楽しげな姿に、ハルドメルもまた表情を綻ばせる。もちろん二人の共通の友であるフランセルも此度の旅に誘ったのだが……。
『ふふ、せっかくだから二人で行って来なよ。僕はまだ蒼天街のことでやらなきゃいけないこともあるしね』
ーーということだった。
竜詩戦争を終わらせ、アラミゴ解放戦争を終わらせ、異世界を救い、星をも救ってきたハルドメルは、つい先日、ようやく。ようやく自身の気持ちを理解し、オルシュファンから与えられる想いを受け止めた。そのことは当然親友たるフランセルも知るところで、もちろん心から祝福してくれている。と同時に、何かと二人に遠慮というか、気を遣ってくれるような場面が増えて、ハルドメルはその度にありがたいような申し訳ないような気持ちを抱いた。
「フランセルにもおみやげ買って帰らなきゃね!」
「うむ、みやげと言えば酒は定番だな! 東方の酒は買っていくとして……せっかくだから日持ちするような食べ物なんかもあるといいが……あいつは読書家だから東方の書物も喜びそうだ!」
気にしなくていいのに、なんてフランセルの声が聞こえてきそうな会話をしながら、宿に行くために船を乗り換えた。
「ようこそおいでくださいました」
冒険者居住区のあるシロガネーーに、ほど近い島々にも、現地民用の居住区がある。そのうちの一つに降り立てば、管理人の女性が東方風のお辞儀で出迎えてくれる。案内されたそれは宿、というよりは普通の民家だった。持ち主はいるものの、空き家となっている古民家を丸ごと貸してくれるという、東アルデナード商会も一枚噛んでいる新しいサービスらしい。
ちょうど日取りがクガネの花火大会と重なり、ほとんどの宿が早いうちに予約で埋まってしまっていた。そのことをタタルにぼやいた所何故かハンコックにまで話が伝わったらしく、ここを紹介してもらったのだ。まだ実証実験中らしく、是非感想を聞かせてほしいとのことだった。
「すごい! 広いお家ですね」
「お気に召していただけて何よりです。エオルゼアの家屋と違って少々無防備に見えるかもしれませんが、陰陽師と風水師による特殊な結界を張っておりますので防犯についてもご安心くださいね」
「陰陽師に風水師! 東方の魔術師だな。結界付きとは至れり尽くせりだ、実にイイ!」
「お掃除やお風呂の用意も式神がやりますので、御用がありましたらこちらのお札に触れてくださいね。もちろん術者が覗き見や盗みができないよう、式の組み上げは徹底して管理しておりますので……」
中を案内し、利用上の説明をした管理人は再度お辞儀をして帰っていった。二人は旅の荷物を部屋に置くと、早々に街に繰り出した。
ーーーーー
「むう、東方の服は不思議だな。布一枚を紐で留めているだけなのに衣服としての体裁を成している……!」
「よくお似合いですよ。若旦那って感じですね!」
「若旦那……とはなんだ?」
「商家の跡取りですとか、主人の子弟の方を敬っていう呼び方です!」
気さくなヒューラン男性の着付けスタッフは細かい直しをしながらそんな話をしてくれた。
異邦人向けに浴衣の着付けをしてくれる店に行った二人。先に着付けの終わったオルシュファンは受付近くの姿見で改めて自分の姿を確認していた。少し渋い紺色の、縦縞模様の浴衣。異国の服を着た自分がそこにいる。なんとも不思議な心地だった。
「すっごい! 似合ってるよシュファン!」
「お、ハルも終わった……」
のか、と最後まで言い切れずにオルシュファンは固まった。
後ろからかけられた声に振り返ると、同じく浴衣の着付けを終えたハルドメルがそこに立っている。
薄らと灰がかったような白をベースにした布地には赤紫の帯が締められ、紺や紫の朝顔が大きく描かれている。彼女の黒い肌にも、背の高さにもよく似合った浴衣姿は、オルシュファンの視線を釘付けにした。
「私もこっちを旅してた時に東方の装備は使ってたことあるけど、こういうの着るのは初めてなんだ。どうかな、変じゃない?」
オルシュファンの隣に立って姿見を確認する。同じように浴衣を着るオルシュファンと並んだ姿は、改めて東方に二人で来たのだという実感を得られた。その喜びを密かに噛み締めていたハルドメルだったが、やがてオルシュファンが黙ったままなことに気付くと、急に不安が押し寄せた。
「……に、似合わない、かな」
思わず大きな身体が小さく見えそうな程しゅんと肩を落とすハルドメルに、オルシュファンがようやくはっと意識を取り戻す。
「ち、違う! 似合っている! とても!」
「……本当?」
オルシュファンは何かをぐっと耐えるように口を引き結んだ後、微かに頬を染めて、ハルドメルに一歩近付いて囁く。
「……見惚れていた。すごくイイ」
「……ぅ」
負けじと赤くなるハルドメルだが、着付けを担当してくれたスタッフ達のあらあら〜といった微笑ましげな目線に気付き、慌てて会計をお願いした。
「慣れない履き物でしょうから、お気をつけくださいね」
「は、はい、ありがとうございますっ」
まだ少し恥ずかしそうにしているハルドメル達を見送ると、女性スタッフ達はきゃあきゃあと黄色い声を上げておしゃべりを始める。
「かーーっこよかったですねぇあのエレゼンの殿方!」
「浴衣がとてもお似合いでしたね……物腰も柔らかで紳士的な方でしたし……」
「ルガディンの女性もね、最初は背も高くってちょっと怖かったんですけど、もうとっても可愛らしい方で……」
着付けを担当した女性は語る。借りる浴衣をどれにするか選んでいた時のことだ。
『背の高い方は大きな柄が映えるのでおすすめですよ』
『そっかあ……うーん、じゃあこれにしようかな?』
選んだ浴衣を鏡の前で身体に合わせてみながら、彼女はふと疑問を口にした。
『色んな柄がありますけど、何か意味とかあるんですか?』
スタッフは異邦人向けの、エオルゼア文字で書かれた小冊子を見せて説明した。彼女の選んだ浴衣の柄は朝顔。その意味はーー。
『……』
『どうされますか? どの柄でもきっとお似合いですよ』
『……これで』
これがいいです、と言った彼女の笑顔は、花が綻ぶようだったという。
ーーーーー
「シュファン! りんご飴! りんご飴食べよう!」
「フフフ、お前は本当にりんごが好きだな!」
夜には花火大会があるということもあり、いつも以上に活気のあるクガネは、明るい内から多くの出店があった。異邦人の姿ももちろん多かったが、とりわけエレゼン族の姿は少なかった。だからだろう、歩いているだけで自然と人目を引いていた。元々クガネやヤンサにはヒューランやルガディンのローエンガルデ族、アウラといった種族が多い。国から出たことのない人間には尚のこと物珍しいのだろう。
「ね、あの人……」
「うん、かっこいいね……!」
若い女性達のそんな声が聞こえる。ヒギリやユウギリなど、ドマの女性は慎ましやかな印象が強いが、クガネは人や商品の行き交う交易都市。流行り物好きの若い女性は明るく、恋にも積極的なように見えた。
「モテますね、オルシュファン殿〜?」
ハルドメルが小声で笑ってそう言えば、オルシュファンはきょとんとした顔で。
「私はお前以外に興味はないぞ」
「……」
などと素で返してくるものだから、ハルドメルは思わず言葉を失って、りんご飴のように顔を赤くするしかできない。
無言でりんご飴を齧り始めた恋人にくすりと微笑むオルシュファンはしかし、耳に入った誰かの声に微かに表情を硬くした。
「おい見ろよ……」
「でっっっ……か!」
「隣のやつツレかなぁ。いいなぁ、俺もあれに挟まれてぇ〜」
人目を引いているのは何もオルシュファンだけではない。そういう、身体に言及する声はハルドメルにとって聞き慣れたものであった。そしてその半数以上は、こう続くのだ。
「でもさあ、筋肉バキバキだろあれ。服の上からでもわかる」
「ばっかお前、あれはあれでいいだろっ。目付きは好みじゃないけど」
「顔もキズモノだしな。ま、灯り消してりゃわかんねえよ」
東方の着物や浴衣は、体の凹凸が少ない体型に似合うように作られているという。そうではない体型の場合は帯の内側に別の布を挟んでそう見えるようにするのだと、オルシュファンは着付けの男性から聞いていた。ただそうした上でも、ハルドメルは豊かな胸囲が目立ってしまう。
お互いに好き合っていると、初めて想いを寄せ合った日も、彼女は自分に女性らしい魅力が胸の大きさくらいしかないなんて言っていた。こんな言葉が頻繁に聞こえてきては、そう思うのも無理はない。無粋な男達の言葉に怒りを覚えはするが、当の本人はもう慣れてしまっているのか、怒ったり悲しむような素振りは見せない。シェーダーほどではないにしても、ヒューランやルガディンより優れた聴覚を持つフォレスターの耳の感覚で言えば、恐らくハルドメルにも聞こえていたはずだ。
(こんなに、愛らしいのにな)
恥ずかしさを誤魔化すように無心でりんご飴を齧っている姿を見て、オルシュファンは口元を緩める。空いた右手を自身の左手でそっと握れば、少し驚いたように顔を上げた。
「ハル、次はどの屋台に行く? あの機工士のようなおもちゃがあるやつか? それとも輪っかを投げるやつか? 私は全部行きたいぞ!」
「……うん、全部行こう!」
少し照れくさそうに、それでもおずおずと握り返してくれた手が、この上なく愛おしい。
ーーーーー
エーテル拡声器を使っているらしい花火大会の運営スタッフの声が、カウントダウンを呼びかける。日が海に沈み、屋台の灯りが煌々と輝くクガネの街並み。人々の声が零を叫ぶと同時に、夜空に大輪の花が咲いた。
「花火もすごいね!」
「エオルゼアで見た花火とはまた趣が違うな! 東方の職人の、イイ情熱と仕事ぶりが伺える!」
カランコロンと東方の履き物が音を立てる。宣言通り全ての屋台を回った二人は、花火を見上げながら休憩できそうな場所を探していた。どちらも鍛えているとは言え、慣れない履き物では流石に疲労する。長時間食べ歩き飲み歩きをしていたこともあり。
「シュファン、あの、ちょっと」
「うん? どうした?」
「……お花を摘みに」
「あぁ、そうだな……私も少し歩いてくるから、あとでここで合流しよう」
そう言って手を離す。ここでは男女で廁の場所が離れていたため、互いにその場所に向かって歩き出した。しかしハルドメルはふと見覚えのある景色が気になって一度振り返る。合流しようと言った場所はよく見れば、遊郭が建ち並ぶ通りの入り口近くであった。オルシュファンの姿は既に離れた雑踏に紛れ、声をかけようにも難しい。
(シュファン大丈夫かな……)
彼がそういった店に興味があるとは思っていないが、この土地に不慣れが故にぼったくりの妙な客引きに声をかけられはしないかと、ハルドメルは少し心配した。
「あの〜、お兄さんっ」
「…………」
「銀髪の素敵なエレゼンのおにいさーんっ」
「……? 私のことを言っているのか?」
ハルドメルの杞憂とは違い、先に戻ってぼうっとしていたオルシュファンに声をかけたのは町娘二人組だった。どちらもヒューランで、歳は二十前後といった所だろう。二人はきゃあと黄色い声をあげて目を輝かせている。
「やっぱりかっこいいですね!」
「あの〜、私達と遊びませんか?」
「……フフ、すまない。人を待っているのでな」
オルシュファンにとっては十歳近く離れているであろう彼女らの好意は可愛らしく、微笑ましいものだ。笑ってそう返せば、二人はぽっと頬を染めた。
「……またまた〜! こんなところに一人で立っててそんな言い訳しないでください!」
「こんなところ……?」
はて、とオルシュファンは周囲を見た。そして納得する。あまりよろしくないところを選んでしまったと。
「うぅ……お手洗いのこと聞いておけばよかった」
浴衣が初めてのハルドメルは、借りた服を汚さぬよう、また変に着崩れないようかなり気を遣った。おかげで普通にするより随分と時間がかかってしまい、足早に合流地点に向かう。
「あ」
遠目にもわかる、背の高い銀髪姿。その人の傍に、二人の女性がいて何事か話しかけている。可愛らしい浴衣姿から妙な客引きではなく一般客ということはすぐにわかった。
(やっぱりモテるなぁ。かっこいいもんね……)
イシュガルドにおいても、生まれは複雑ながら『四大名家』で『騎士爵』を持つ彼は、密かに下級貴族の娘達の間で人気であると、エマネランがいつだったか話していたのを思い出す。地位ももちろんだが、オルシュファンの人柄も相まって本気で惚れる娘も多いらしい。
そんな中で彼が自分を選んでくれたことは、本当に幸福であると思っている。と同時に、生来の自信のなさもまた、密かに頭をもたげてくる。
(……絵になるなぁ)
オルシュファンに話しかけている女性二人はヒューランだ。当然彼よりも小柄で、もし抱きしめたら、すっぽりとその腕の中に収まるだろう。
綺麗に整えられた、白魚のような指。剣だこやマメで硬くなった手とは違う。
可愛らしくセットされた髪は、針金のような硬質のルガディンのものと違って、柔らかで指通りもいいのだろう。
ハルドメルは、読書は好きな方だ。読んだ本の中には、恋愛の物語もある。それらの中でも当然のように、ヒロインは小柄で可愛らしく、女性らしい人だった。現実であっても恋仲の男女は男性の身長が低い方が稀で、いつも声を顰めて言われている言葉を考えても、男より大きな女は可愛げなく映るのだろうと、ついつい思ってしまう。
(……だめだめ、またネガティブになっちゃう)
後ろ向きな考えを振り払うようにふるふると頭を振るが、二人に笑いかけるオルシュファンを見て、足はぴたりとそこで動かなくなってしまった。
「ハル!」
ハルドメルが戻ったことに気付いたオルシュファンは、女性二人に軽く謝罪すると足早に駆け寄る。
「遅いから何かあったのかと思ったぞ……ハル?」
「ごめん、ちょっと混んでたから……」
曖昧に笑うハルドメルを、オルシュファンはじっと見つめた。
「え〜嘘〜」
「ああいうのがいいんだぁ……」
フォレスター特有の長い耳は、その小さな声を捉える。すぐに袖にしてしまえばよかったかと、少しだけ後悔した。
「流石に少し疲れたか。遠目にはなるが、花火は宿でゆっくり見ないか? 汗もかいたし、風呂にも入ろう」
「……うん、そうだね!」
元気に返したハルドメルの手を握ってオルシュファンは歩き出す。
握り返す力は、少し弱々しかった。
ーーーーー
そもそも種族が違うのだから、その差を気にしてもしょうがないことくらい、ハルドメルとてわかっているのだ。それでも、降り積もった言葉やイメージは、知らぬうちに小さな棘となって、胸の内をちくりちくりと刺してくる。
一人であれば、いつものことだから気にしなかった。けれどオルシュファン……恋人と並ぶことで、それらの棘はいつもより鋭さを増しているような気がして。
「長くなっちゃうから先に入って」
「む、そうか……私としては一緒に入って汗を清めるお前の肉体美を、余すことなくこの目に焼き付けたいのだが……!」
「……シュファンやらしい」
「な、何……!? これは恋人としての正当な」
「もう、いいから早く入って!」
オルシュファンの背を押して脱衣所に押し込むと、小さくため息をつきながらも、脱力したように笑う。きっと自分がわかりやすいのだろうとは思ったが、何も言わなくても気遣ってくれるオルシュファンの優しさが、痛みを和らげてくれた。
縁側へ行けば花火が見えるが、ハルドメルはそのまま脱衣所の近くで腰を下ろし、膝を抱える。
あの後着付け屋に戻って浴衣を返却し、今はもういつもの格好だ。風呂から聞こえてくるオルシュファンのご機嫌な鼻歌に耳を傾ければ、不思議と心が安らいだ。
「ハル、ハル。ちょっと手伝ってくれないか」
「どうしたの?」
しばらくして風呂から出たらしいオルシュファンが、脱衣所から声をかけてくる。何かと思って立ち上がれば、寝巻き用の浴衣を上手く着られなかったらしいオルシュファンが、とりあえずそれを羽織った状態で出てきた。
「着付け屋で見てはいたんだが、自分でやろうとするとよくわからなくてな……」
「あはは、いいよ。こっち来て」
他人の着付けはやったことはなかったが、着物の仕組みはわかっていた。ましてや寝巻き用の浴衣は正式な着物と違ってかなりラフな着方になっている。手早くとまではいかないものの、オルシュファンに着方を教えながら格好を整えた。
「おお、なるほど。次からは自分でできそうだ!」
「わからなかったらいつでもしてあげるよ」
「……フフフ、それもまた夫婦のようでイイなっ」
「……もう」
ハルドメルが風呂に行っている間、オルシュファンは一人でぼんやりと花火を眺めていた。クガネで見るよりはもちろん距離があるが、街の喧騒から離れた場所から見る花火というのもなかなか乙なものであった。ただ、一人で見る花火は、二人で見る時より楽しさは半減する。
花火を楽しむために、部屋の灯りは足元が見える程度に最低限だ。開放的な東方様式の家屋は風がよく通り、夏の夜でも不思議と涼しかった。
「お風呂よかったあ。部屋に露天風呂があるっていいね」
「おおハル、飲み物を用意しておいた、ぞ……」
足音に振り返ったオルシュファンは、湯上り姿の恋人に思わず息を呑む。
部屋の中のわずかな灯りと、遠くから届く花火の光だけでも分かる、まだ濡れた髪や肌。寝巻き用の浴衣は、先程まで着ていた外着用とは違って寸胴に見せる必要もない。つまり、身体のラインがはっきりくっきりと現れてしまっていて。
「麦茶だ! ありがとうシュファン」
オルシュファンの右隣に腰掛けたハルドメルは、足が地面につかないように気をつけながら、置いてあった草履の鼻緒を足にひっかける。もらった麦茶を飲み干せば冷たさが心地よく、一つ息を吐いた。
ーーオルシュファンは誠実な騎士であるが、一人の男でもある。しっとりと濡れた肌も、麦茶を飲んで上下する喉元も、浴衣から覗く頸も、はっきりとわかってしまう身体のラインも。それが恋人のものであれば尚のこと。
(刺激が強すぎる……ッ)
蠱惑的な姿からなんとか視線を引き剥がし、熱が集中しそうになるのをぐっと堪えるように身体に力を込めた。
「遠いけどここで見るのもいいね。静かだし座れるし」
「う、うむ……浴衣も女性は帯が結構苦しいと聞くしな」
「そうそう、お風呂入ってゆっくりして、今やっと息ができてる〜って感じ」
二人並んで花火を眺めた。今日行った屋台の話や、フランセルに買うみやげの相談、明日からの旅程のこと、かつてハルドメルがこの地を旅した時の話。とりとめもなく続く会話の中で、オルシュファンはそろりと右手を伸ばした。
「っわ」
ハルドメルが小さな声を上げて身体を震わせた。優しく、だがしっかりとした力で肩を抱かれる。密着した所から温かな体温が、布越しに伝わってくる。
ちら、と左を見れば、視線が合ったオルシュファンが微笑んだ。髪は右側に流しているせいで、照れた表情は隠しようもない。ええいままよとハルドメルは、とくとくと速まる鼓動はそのままに、そっと体重を預けてみた。
誰かに寄りかかる、という行為をした記憶は、両親以外にあっただろうかと考える。それは驚くほど心地よくて、心から安堵できるものだった。その温もりに誘われるように、ほんの少し、甘えるようにその肩に頬をすり寄せれば、頭の上にキスが降ってきた。くすぐったくて肩を揺らしたら、オルシュファンもまた笑って、もう一度キスが降ってきた。
これが幸せでなくて何なのかと思うほど、全てが温かく満たされている。そしてオルシュファンにとってもハルドメルという人が、寄りかかれる程に安心できる相手であればいい、と願った。
夜空に次々と花が咲く。どうやら花火大会もクライマックスのようだ。狂ったように、と言っても過言ではないほど大小様々な花火が打ち上げられ、風に乗って人々の歓声までもが聞こえてきた。
そしてそれまでで一番、一番大きな花が咲く。会場近くと違ってほとんどその振動が感じられなかったこの場所でも、大気の震えが伝わるほどに大きな花火だった。
クガネの方からは歓声、拍手、不明瞭なエーテル拡声器の音が聞こえる。祭りももう終わりなのだ。
先ほどまであんなに花火の音が響き渡っていたのに、今はもうしんとした夜の空気だけがある。
「終わっちゃったね」
「あぁ」
「お祭りの終わりって、ちょっとだけ寂しい」
「そうだな」
どこか生返事のようなオルシュファンの返答にハルドメルはもたれかかっていた身体を少し起こす。と、肩を抱き寄せる腕の力が少し強まる。左手を頬に添えられ、あ、と思った時にはもう唇は重なっていた。
「ん、っ」
ーー恋人と二人だけの旅だ。二人きりの宿だ。何もないままなんて呑気なことは、流石にハルドメルも思ってはいなかったけれど。
「んん……ッ」
啄むようなそれが、深く貪る情欲に変わっていく。縋るようにオルシュファンの浴衣を掴むと、驚くほど速い鼓動が伝わってきて僅かに目を開いた。
唇が離れる。欲の炎が灯る青い瞳と視線がかち合った。これから起こることを想像すれば、身体の芯が熱を帯びてくる。
耳に、首筋に、喉元に、確かめるように唇が落とされていく。初めて想いを確かめ合った日以来の、二度目の夜。行為そのものに不慣れなハルドメルは、まだ上手く応えることができずになすがまま身を任せるしかできない。
「わ、あっ」
膝裏に手を差し込まれ横抱きに抱え上げられる。引っ掛けただけの草履はするりと滑り落ちていった。
床に敷かれた布団の上に少し性急に下ろされた。起こしかけた上半身は軽く押されて布団に逆戻り。普段の紳士的な面でも、明るく豪快な面でもない。獲物を前にした獣のような、どこか切羽詰まった見慣れぬ表情が、心拍数を引き上げる。あの日と違ってお互い素面なのが、余計に気恥ずかしさを増幅させた。
だが一つだけ、ハルドメルには気掛かりがあって。
「シュ、ファン……あの……」
灯りを消して、と消え入りそうな声で懇願した。足元が見えるようにと床に置かれた行燈は、つまり布団に横になった二人の姿をも照らす。互いの顔が確認できるほどに明るい。恥ずかしいということもあったがーー色々と、見られたくない、と思う気持ちも僅かにあった。
「…………いやだ」
「…………え、」
まさか拒否されると思っていなかったハルドメルは、目を見開いてオルシュファンを見る。
オルシュファンは、昼間の男達の会話を思い出す。灯りがなければ見えはしないなどと、オルシュファンにとってはとんでもないことだった。ハルドメルの手を取って口付ける。手の甲も、手のひらも、指先も、一つ一つ愛おしそうに。
「……お前が好きだ」
自分の身を守り、目の前の誰かを助けるために鍛えられた身体。誰かのために戦って傷だらけになった身体。海を切り取ってきたような小さな瞳も、闇に紛れてしまいそうな黒肌も、針金のような硬い髪の一本一本も。その、女性らしさがないと思っている自信のなさすらも。
「全部好きだ。全て見たい。余す所なく」
「しゅ……」
「私がどれだけお前を欲しているか、わかっていないだろう」
オルシュファンは、薄く笑っている。だがどこか余裕がなく、その視線も、手の力も、逃さないという意志を感じさせた。
す、とその手が浴衣の合わせから胸元に侵入する。不意打ちのそれにハルドメルは身をすくませたが、オルシュファンの身体を反射的に押し返そうとした右手は捕まえられ、やんわりと布団の上に縫い付けられた。低く、囁くように名前を呼ばれる。耳を舐られ、首筋をきつく吸われ、ハルドメルは狼狽えた。
「ま、待っ……」
「お前といると、十代の若者みたいに心が逸る……全てを暴いて、身体の奥まで満たして、私のことしか考えられなくしてしまいたい……っ」
「シュ、ファン……、!」
初めての時とは違う性急な動きに翻弄される。オルシュファンの膝が脚の間を圧迫するように揺すり、身体の奥から生まれるぞわぞわとした感覚にハルドメルは身を捩った。
興奮している。互いの乱れた呼吸と衣擦れの音だけが部屋を満たして、それもまた欲を煽る一要素になっていく。
「……った……わかった、から……シュファンッ……お、お願、い……」
与えられる愛撫に、口付けに、息も絶え絶えになりながら、ハルドメルはぐいぐいとオルシュファンの浴衣を引っ張って制止した。流石のオルシュファンも、性急過ぎたと内心反省して、少し身体を離してハルドメルを見た。が。
「…………」
薄らと熱で潤んだ瞳。帯を締めたままで半端にはだけた上半身、開かれた裾の中から顕になった鍛えられた脚。まだ服を着ているはずなのにほとんど脱いでいるのと同義のような、布一枚を帯で留めただけで衣服の体裁を成す、東方の不思議なその衣装。その乱れた姿はあまりに扇状的で、オルシュファンの理性は静かに白旗を上げる。
「お願い、だから……ゆっくりして……さ、最初の時、みたいに……」
「…………すまない、ハル」
ハルドメルが疑問を抱く間もなく、オルシュファンはちゅ、とその唇に口付けた。その表情はどこか悔しそうで、申し訳なさそうで、だが後には引けないと言うようで。
「今日はもう、我慢、できない」
何かを言うより早くその唇を塞いだ。後はもうオルシュファンの言葉通り。全て暴いて、奥まで満たして、目の前の男のこと以外考えられなくなるほど愛して。
ハルドメルは自分がどれだけオルシュファンに愛されているのかを、一晩かけてじっくりと、嫌と言うほど教えられたのだった。