朝、目が覚めると、腕の中にあなたがいる。
それがどれ程幸せなことか、あなたはわかっているのだろうか。
「っ……!」
全身がじとりと嫌な汗をかいている。早鐘を打つ心臓はしかし、腕の中にいる人を見れば、少しずつ穏やかになっていく。
今でも時々、夢に見る。あの日。オルシュファンが凶刃に倒れた日。今でこそ元気になっているけれど、あの時は本当に生死の境をーー否、殆ど助からない程の状態だった。
彼が、助からなかった夢を見る。身体を濡らす血の熱さも、腕の中で熱を失っていく身体も、何もかもが夢と思えない程はっきりしていて、泣きながら起きたこともある。
けれど今は。
「……」
朝日を受けた銀の髪がきらきらと煌めく。少し薄い唇は僅かに開かれて、生の証である穏やかな呼吸を感じる。雪国らしく色が白かった肌は、最近になって少し焼けてきたようだ。蒼い空と同じ色の瞳はまだ瞼の下で、早く見たいような、もう少し寝顔を見ていたいようなどっちつかずの感情が、ゆらゆらと水面に浮かぶ小舟のように揺れている。
「……寝顔、かわいい」
ふふ、と肩を揺らしたら、不意に身体にまわされた腕に力がこもった。
「……お前の方がかわいいぞ」
「えっ……!? わっ」
ぎゅう、と強く抱きしめられて心臓が跳ね上がる。ふふふ、と笑う気配がして、顔が火照るのが自身でもわかった。
「おはようハル」
「……おはよ……いつから起きてたの……?」
「……多分、ハルが起きてすぐ、だな」
「……もう」
オルシュファンの手が、優しく頭を撫でていく。肌越しに感じる心音と体温は、それだけで安堵を与えてくれる。抱きしめ返せばむにゅりとした柔肉が更にオルシュファンの身体に押し付けられたが、構わず隙間がなくなるくらい密着する。
オルシュファンとて、ハルドメルがあの日を忘れられないことは、痛いほど知っている。魘される日があることも、それを目にしたことも。ーーオルシュファン自身、助からなかった夢を見ることもある。
深く、深く傷ついてそれでも尚、前に進む。それができてしまう人だった。その背を見守り、無事を祈ることしかできない歯痒さも、言葉を伝えることすら叶わない苦しさも。今ですら、その旅路について行けず悔しい思いをしているのに。ーーだがだからこそ、今があることが幸せであると、心からそう思う。
ハルドメルの手が、背中側の傷をそっと撫でる。綺麗に、とは当然ならなかったが、確かに治ったその痕を、慈しむように何度も。
「今日は何をする?」
「んー……お昼何がいい……?」
「お前の作るものならなんでも! と言いたいところだが、そうだな……ラザハンの料理を覚えたと言っていたな! 材料があるなら食べてみたい。異国情緒溢れる料理をするハル……イイっ」
「ふふ……わかった。あっちのご飯はね、辛いのが多くて……」
抱き合ったまま、他愛もない話をする。夢なんて忘れてしまうくらい、穏やかで温かな、満たされたひと時。
「……シュファン」
「ん」
触れるだけのキスをする。ハルドメルからのそれはいつも子供がするように可愛らしい、恋人というより親愛のそれに近い。けれどオルシュファンはその口付けが大好きだった。
誰か一人を特別に想い、想われることなんて想像もしていなかったひと。それを理解して受け入れた彼女が与えてくれる、溢れんばかりの愛情表現。
触れては離れてを繰り返し、愛おしくてたまらないとオルシュファンが深く口づけようとしたら、気付いたのか気付いていないのか。ハルドメルはキスをやめ、嬉しそうにオルシュファンを抱きしめて離さない。
「ふふ……まだ起きないのか?」
「ん……もうちょっと」
幸福に満ちた声が耳朶を打ち、だらしなく弛む頬を自覚しながら、オルシュファンは夜のように美しい黒肌に唇を落とした。